田村成義翁の語るところによると、この興行は日のべをして純益二万五千円にのぼったということである。そのころの二万五千円は今日の十五、六万円にも値するであろう。ずいぶん大儲けをしたものである。  この年の出来事で、もう一つ記憶にのこっているのは、明治座の三月興行に菊五郎が「堀川」の与次郎でほん物の猿を使ったことであった。縫いぐるみの子役ではどうも面白くないというので、猿芝居の猿を借りて来たのであるが、それはやはり面白くなかった。観客が弁当などを食っているのを見ると、猿は与次郎の背中から飛び降りて土間へかけ込む、女客などは声をあげて立ち騒ぐという始末で、折角の工夫もさんざんの失敗に終ったのは気の毒であった。並木五瓶が生き馬を使って失敗したのと、古今一対であろう。 富里 美容院