(正親は縁に上りて、上のかたの襖にむかひて坐し、うや/\しく御幣をさゝげて祈る。花園と加賀は一心に打守りゐる。家のうしろを囘りて來りし心にて、下のかたの垣の外に、能因忍び出づ。)
能因  (小聲。)良因、良因。良因  え。(左右を見まはす。)能因  こゝだ、こゝだ。良因  え。(拔足して垣の傍にくる。)どうしてこんな處へお出でなさいました。能因  貴樣が詰らないことを云つて嚇すものだから、陰陽師などが遣つて來て、何だかあぶなさうになつて來たから、そつと裏口から拔出して來たのだ。良因  なにしろ、あいつの立去るまではそこらに隱れてお出でなさいまし。(云ひつゝ下のかたを見る。)や、大變。誰かまた此方へ來ました。能因  來たか、來たか。(あわてゝ家のうしろに隱れる。)
(この中に正親は祈り終りて不思議さうな顏。)
正親  はて、わからぬ。世にも不思議なことがあるものぢや。花園  お判りになりませぬか。正親  この一間のうちには何にも居らぬやうぢやが……。(かんがへる。)加賀  なんにも居りませんか。正親  内は空虚ぢや。藻拔の殼ぢや。鬼も人も棲んでゐるやうに思はれぬ。はてなう。良因  (空呆けて。)でも、唯つた今たしかに眞黒な大坊主が首を出しましたが……。ねえ、お二人樣。

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