▼作家の書く小説は新聞記事とはちがつて個人的制作物だからといつて、どんな形式を読者に押しつけてもよいとは言はれまい。小説形式の中から会話といふものを放逐してしまつて、見ただけでもウンザリするほど文字をベタ詰めにするといふ叙述形式は、これは単に読者心理の解放といふだけの問題にとどまつてだけはゐないだらう。  ▼早晩その小説形式の本質問題は論ぜられなければならないし、殊に武田氏の西鶴ものの場合、形式の内部的矛盾は早くも現はれてゐる、散文の本質から彼が離れまいとすればするほど、散文とは縁遠い、講談口調と一種の雄弁術とが露骨になつてきてゐる、問題は小説の文字ヅラだけのやうであるが、決してさうではあるまい、作者といふものは作品を押しつけるばかりが能ではない、作者は読者を解放するとともに、適宜に自己も解放しなければいけないものだらう。 調布市 歯科JENS WeBlog

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